河村幹雄博士の「教育への思い」を今に  北原 重登

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河村幹雄博士は大正から昭和の初期にかけて、九州帝国大学工学部に勤務、地質学講座担当教授、また工学部長に就任され、昭和六年末四十六歳の若さでその高貴な生涯を終えられた。憂国の心篤く、当時の教育の悪弊を改革せねばと、「教育の外何物もなし」の確信を以て講演著述を通してその至情を世に訴えられた。

自ら教育の道を実践されたのは勿論、文部省視学委員として諸学校の実情を視察され、改善点を指摘されている。教育に如何に思いが深かったかは、米国留学中の日記に、教育上なすべきことを三十箇条にわたり、心覚えとして綿密に記されていることからも窺える。なお博士はキリスト教を信仰されていたことを参考に付記しておく。多事だった平成十一年も暮れんとしている。博士が『戊申教育会誌』(昭和五年十二月)に発表された「年暮れむとす」の文章をそのまま掲げる。ここに博士の志を偲びたい。

年暮れむとす

年将に暮れむとす。政治に経済に軍事に外交に悲しむべき事のみ多かりし年将に暮れむとす。年将に暮れむとす。而も悲しむべき国家の不祥事は愈々多くして年と共に改まるべき予望なし。翻って思ふ、これ等の不祥事は悉くこれ明治初年以来六十年誤れる指導に基く謬れる教育を実践し来たりし因果応報なるを。有史以来未曾有の危機に際し、思を潜めて機微を察する者、誰か国難の真因一に懸かって教育の誤謬にあるを観取せざるものあらむや。歳晩新年の幸福を祈るや切なり。されど六十年積悪の余殃を除去せんは一朝夕の事に非ず、今日これを改めて明日これが効を求めむとするを得て克くす可からざるなり。冀くは年の改まると共に教育の病弊を一掃し、積悪の六十年に加ふるに、更に一年を以てするなからむことを期せむ。

禍はよし去らずとも繰言を言はでつとめむ友とたづさはり

この文章中の「明治初年以来六十年」を「終戦以来五十余年」と、後の「六十年」を同じく「五十年」に読みかえれば、他は一字一句改めることなく、当世への警鐘と受けとれるのではあるまいか。博士の教育観はその人生観から発していることは否めない。私はそれを、博士の言辞を引用して次の三項目に要約した。

一、人の評価 「人に重んずべきは誠意即人物(胆)で、二は才幹(腕)、三は技芸知識(頭)である。」

二、個人と社会 「個人は社会的存在である。個人の生の意義は社会との関係に於いてのみ存し、個人の生命は社会と融合することによってのみ不朽である。」

三、新旧の思想 「新旧は問う所でない。正邪、善意、美醜が問われる。」

博士は自らの信念に立って、教育の原点から実践の具体的方法まで広い領域にわたって、与えられた機会を捉えて、周到的確な改善策を提言されている。その骨子のみを恣意的に分類配列し、紙面の許す範囲で紹介したいと思う。

歴史伝統の尊重

「教育勅語を新たに心に入れ替えて仰ぎ顧みる」「天皇は何かを教える本物の教育者が見当たらない」「国民精神の威力によって国民精神を将来に伝うるものが教育である」「国に対する自信が教育の根源である」「如何なる国が国民的でなくて世界的であるか」

教育者の職分

「教育者の最要の心得は生徒に対する親愛の情である」「教育の価値を知りその尊さを弁えた人であれば、教育者の職分を貴び教育者を尊敬する」「教育者が軽んぜられるのは、教育者自身が世人と同じく自らを軽んじ、教育の尊貴の所以を知らないからである」「師弟の不和は父兄母姉の教育者軽蔑不信不敬に起因する」

教師の任用

「教育の振興は教育者に人を得るを以て第一義となす」「校長教師の任用は奉公の赤心、識見の卓越を標準とし、専門末枝は問う必要がない」「功なり名遂げし老国士は、須く故山に臥し育英の業に身を捧ぐべし。教育者にならずとも、その好意ある相談相手となる。教育者を激励また忠告し、一方では教育者の代言人として、その筋に対して条理ある主張を貫徹せしむるよう努力する」

家庭教育

「悲しいかな、我等の見る所誤たないならば、母なき世が近づきつゝある」「母は天によって生来の教育者である」「婦人の使命は人文を過去より承継ぎ現在に拡がらしめ将来に伝達することである」「悪化する思想界を救うのは母の心を世にひろがらしむる以外にない」

教育実践に関する事項

学校行事の単一化を戒め、「郷土の美風特色を学校に保存しその伝統を継がしめ、郷土精神の健全なる発展を期する」(郷土精神)「愛校心は現代教育疾患の万能薬である、と共に真教育の糧である」「生徒に向かって愛校心を説くな。先生自身に愛校心があればそれでよい」(愛校心)「少年社会ー遊び仲間、同級生、同窓生間ーにおける行動の規準を顧みなければならない」「ゲームを熱心に且つ正直に男らしく遊ぶように導かねばならない。ゲームに不熱心なものはライフワークにも不熱心である」「運動競技は人生の縮図であり、人生に処するに必要な訓練はこの中から得られる」(遊び、ゲーム、運動競技)「弱者に対して同情すること事が道徳の初めである」「日常遭遇する自然並びに人事の現象に注意して、徳育の練習を積ましめる」「訓育の主眼は個人道徳ではなく国民道徳でなければならない」「小学校の教育に自由教育を適用しようとしているのは、不可能事を企てている」「ある規則を子供に守らせる前に其の規則を守らねばならぬ理由を明らかに説明し納得せしめ、共同の利益のために自発的にそれを守る態度を養わしめる」「情操は心にある。古今の名画、彫刻の傑作を味わしめる」(徳育)「絶対の権威と信とを有する現代唯一無二の教育者たる新聞雑誌は偽思想の追従者、日本精神の冒涜者である。学校教育の重要な使命の一は、学生をして、新聞雑誌著書の善悪を分別批判し、その導きを選ぶことが出来るようにせしめることである」(マスコミ評価)

以上の紹介は『河村幹雄博士遺稿』(河村幹雄博士遺稿刊行会)および『名も無き民の心』(岩波書店)によったものである。博士は抽象論を排し、事実に則し実例をあげて、具体的に説くことの大切さを指摘されている。その点からこの拙稿は博士の意に反するものであるが、前記書籍への橋渡しになれば幸いである。(福岡教育大学名誉教授、「日本の教育」471号より転載)

 

河村幹雄博士の「教育への思い」を今に  北原 重登」への1件のフィードバック

  1. 岩本洋子と白します。
    貴日本教師会様のご盛栄、誠に有難く、存じております。
    本日は、亡き父の件でお願いもしあげます。父、岩本修は、1963から1970年にかけまして,貴会の会長を勤めさせて頂きました。
    父の、法要を行いますが、家には、データがなくなっております。
    もし貴会様に岩本修の何らかの, 記録が残ってございますと、御教授下さいますと有難く存じます。ご多忙中と存じますが宜しく御願い致します。岩本洋子

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