岐阜県教育懇話会では一般向けの講演会「現代国民講座」を開設し、昭和44年4月に第一回を開講しました。以来、50年近く継続的に開催してきました。次に紹介する講座はさる3月26日に岐阜市ハートフルスクエアGで行ったものです。
日本を元気にする『古事記』のこころ 湯島天満宮権禰宜 小野善一郎
一、天照大御神の神言
私は『古事記』を伊勢神道の心神思想により読み解いている。その思想は伊勢神宮で最も大切にされている天照大御神様の託宣にある。
「人は乃ち天下の神物なり、須(すべか)らく静謐(せいひつ)を掌(つかさど)るべし。心は乃ち神明の主たり、心神を傷(いた)ましむる莫(なか)れ。神は垂るるに、祈祷を以先と為し、冥を加ふるに、正直を以て本と為す。」
前半の意味は、私達は大宇宙の神性な存在であり、当然心穏やかに過ごさなければならない。自らの心に神は存するのであるから、体は小さい神社だと。
伊勢神宮では天之御中主神様と天照大御神様と同一体として鎮座している。同時に私達の体の中にある。だから後半に「心神を傷ましむる莫れ」は絶対に傷をつけず護れという。「傷ましむる」とは悪口を言う心、傲慢嫉妬の心、比べる心、不安の心、疑いの心であり、それを出すなということである。しかし、私達はそれが出てしまう。そこで祓い言葉で清め、きれいな御霊(心)、清々しい心に戻すのである。
その次「神は垂るる」は神様と一つになるためにで、「祈祷を以て先と為し」と一心に祈るのである。これは現世利益を願うのではなく、自分の本体への復帰である。私達は皆神様であり、そこへ帰るのが祈祷である。「冥は加ふる」は祈祷と同じことで、そのために「正直を以て本と為す」のである。これが後に述べる天壌無窮の神勅と共に、日本の復興の大本があると考えている。
二、『古事記』序文
『古事記』は荒唐無稽な事を書いていると言われるが、どのようにして読むべきか。その手懸かりとなる言葉が『古事記』の序文にある。
「上古の時、言(ことば)意(こころ)並びに朴(すなお)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなわち難し。已に訓によりて述べたるは、詞心に逮(およ)ばず、全く音をもちて連ねたるは、事の趣更に長し。」
古の時代では真っ直ぐな心は天地の命と一つで文字化できない。書いてあっても思っていることと違う。
従って文字の背後にある先祖が言わんとすることを見ていくのが正しい理解のし方になる。すなわち先祖が感じていた神と一体の命(最初からある命)を感得することである。
三、天地初発
「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき。次に(中略)此の二柱の神も亦、独神と成りまして、身を隠したまひき。上の件の五柱の神は、別天つ神。」
昔、天地が別れた最初の時、この宇宙に三柱の神様が出現された。次に二柱の神様が出現された。これらの五柱の神様を天つ神様の中でも特別な神様として、別と書いて別(こと)天つ神と言う。
大切なことは神様が先ではない。初めから天地=大宇宙がある。神道では神様は天地を物実として生まれる。物には物を生みたもうた神様が宿っているという信仰である。大宇宙は最初からある。私達も同じで山も川も木も大地も同じ命なのである。そして山の背後にある命は大山津見神様、木は久久能智神様、風は志那都比古神様と。当時の人々は自分の中の命が分かっていた。現代人はこの部分が欠落していて、川は見える、山は見える、木も見える、大地も見える。しかし、自分の命が見えていないから物の背後にある命が不明なのである。従って、何よりも大本にある命である自分の命を感得することが大切である。
四、国土の修理固成
五柱の別天つ神の七代後に伊邪那岐、伊邪那美の神様が生まれる。この両神様が国生み神生みをする。そこで天つ神から詔をいただく。それが「国土の修理固成」である。修理固成とは国生み、神生み、国作り、国固め、国譲りのことで天孫降臨までつながっていく。
「ここに天つ神諸(もろもろ)の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、『この漂へる国を修め理り固め成せ。』と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。」
矛を渡すのは、三種の神器と同じで天つ神の御霊の継受である。この命をいただいて高天原の浮き橋に立ち、矛をかき混ぜて引き上げると塩がしたたり落ちてオノコロ島ができる。そしてオノコロ島に伊邪那岐、伊邪那美の神様が降りられるのだが、そこで失敗をされる。高天原にいた時はきれいな心であったが、天降りる時に、意識が生まれたのではないかと思う。意識は行為によって生まれるからである。何をしたかというと、御柱を建て、”美斗能麻具波比”夫婦生活をされる。その時伊邪那岐命が「女人先に言へるは良からず。」女性が先に言ったのは良くなかったと言われる。多くの学者は男尊女卑の考えだと言われるが、本源的な問題で古来夫婦は一柱とされたように、どちらが先だとか上だとかということはない。天つ神の心から離れた心が出てきたと考えられる。だから気づいたら、離れた心を祓って天つ神の心に戻ればよかったのである。だがお二人はそのまま夫婦生活をする。その結果「然れども久美度邇興して生める子は、水蛭子。」そして、「淡島」を生む。これが離れた状態である。
もどるべき天つ神は究極の神様で何でも知っている。しかし、その神様も謙虚で、先祖の御神意を伺う。
「すなはち共に参上りて、天つ神の命を請ひき。ここに天つ神の命もちて、太占に卜相ひて、詔りたまひしく」
伊邪那岐、伊邪那美の神様が相談に来られたので、天つ神は先祖の神様の御心を占いによって伺い答える。それが「女先に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ。」その背後にあるのは天つ神の御心で、それと一つになることで次々と神様が生まれた。最後に火の神がお生まれになる。しかし、火に焼かれて伊邪那美命は黄泉の世界に行ってしまう。残された主人はこともあろうか、我が子を憎み恨んで一刀両断のもとにこの子を切ってしまう。すると、建御雷之男神、経津主神、鹿島・鹿取の神様が生まれてくる。殆どの学者は自分の子供を殺したと言うが、それでは神様は生まれない。私は恨む心、憎む心を祓ったと考える。天つ神と一つになるから建御雷之男神、経津主神という尊い神様が生まれた。
伊邪那岐命は黄泉の世界に行き、伊邪那美命に戻ってきて欲しいと頼む。しかし伊邪那美命はもう黄泉の世界の火で煮炊きしたものを食べてしまったから帰れないと言う。しかし、折角迎えに来てくれたことなので大神様に伺うから、待って欲しいと言う。ところがいくら待っても帰ってこない。伊邪那岐命は絶対に来てはいけないと言われていたのに、入ってしまう。何と伊邪那美命はウジ虫や雷神に覆われていた。驚いて逃げ帰るのだが、これは自分の心が神様から離れた心を写している。これから伊邪那岐命は祓って祓って黄泉の世界と現実の葦原の世界の境の崖に来る。
五、三貴子の誕生
黄泉の世界から帰った伊邪那岐命は「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で、徹底して禊ぎ祓いを行う。
「左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月讀命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命。」すると日本で一番尊い神様の三貴子が、生まれた。「禊祓」が日本という国家の根本であることを如実に物語っている。自分の本質が分かると国柄が分かる。
六、天照大御神の新嘗祭
ところが建速須佐之男命は心が離れていて、天照大御神様が新嘗祭を行う神殿にうんこを投げ込んでいる。日本においては祭られる神様が祭る神様でもあり、自ら稲を育て初穂を供えられてきた。そこへ建速須佐之男命の乱行である。天照大御神様は天の石屋戸にお隠れになる。殆どの先生はこれを日食神話だとか、神の死と復活の説話だとか解釈しているが、私は一人一人が神与の心の御扉を閉じたと見ている。最初に閉じたのは建速須佐之男命。あとの八百万の神様はみんな見て見ぬふり。高天原を命懸けで護る神がいなかった。これが石屋戸閉じである。
ここでお祭が始まる。その結果、天照大御神様は天の石屋戸を出られて世界はもとの状態に戻る。
八、天の石屋戸開き
石屋戸が開かれた時、祓った時の状態が次のように書いてある。
「ここに天之受売曰ししく、「汝命に益して貴き神坐す。故、歓喜び咲ひ楽ぶぞ。」とまをしき。」
また約千年後の『古語拾遺』には
「此の時に当りて、上天初めて晴れ、衆倶に相見て、面皆明白し。手を伸して歌ひ舞ふ。相与に称曰はく、阿波礼(天晴れ)。阿那於茂志呂(あな手伸し)。阿那佐夜憩(あな清け)。飫憩(おけ)。」
素晴らしい歓喜の世界がここにある。心を開き神様と一体になることで実現する世界である。
九、天壌無窮の神勅
「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。行矣。寶祚の隆えまさむこと。當に天壌と窮り無けむ」
天照大御神様の御心と一緒になって治める国。それが正に日本国。天地と命が一体となる儀式である新嘗祭は大きな力のもとになる。GHQはそれを消そうとした。現在は神様と心が離れている。一人一人が自分の命を考え、天の石屋戸を開き本体を取り戻すことが必要。日本を元気にする力がここにある。(文責編集部)